風土と建築

プリツカー賞を受賞されたRCR Architectsの記事がSNSで紹介されていて
面白かったので共有します。
http://world-architects.blogspot.jp/2017/05/rcr-pritzker-lecture.html?m=1

実際に作品を見ると、
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/
地形のなかでのなじみ、風景のなかでの抑制と調和、
特に建造物の高さを抑えることによって背景の山が透過し、また直線で見切られることで、
背景が浮かび上がって、あらたな意味づけがなされている。
たまたまかもしれませんが、とても日本的なデザインのエッセンスを感じる建築で、
すごく共感しました。以下の写真はそれがよく分かるような写真ですね。
すばらしいと思いました。

http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-iv-171-crematori-de-hofheide/283/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-i-43a-equipament-estadi-datletisme/309/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-ii-82-espais-per-a-loci-i-la-cultura/335/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-iii-121-casa-m-lidia/358/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-iii-120-casa-horitzo/302/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-iii-120-casa-horitzo/303/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-v-185-centre-dart-la-cuisine/311/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-ii-86-pavello-del-bany-tossols-basil/350/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-ii-60-pabellon-de-acceso-a-la-fageda/349/
http://rcrbunkafundacio.cat/fons-rcr/obres/o-ii-74-casa-mirador/355/

五島巡検

重要文化的景観区域内の公共デザインの仕組みについて、4つの景観行政団体へのヒアリング調査と現地調査のため、五島列島に行ってきました。研究課題については勿論のことながら、潜伏キリシタン関連遺産の歴史的背景を深く知ることができ、集落景観のみかたをあらためて考えるきっかけになるなど、充実した視察でした。あと、やはり鉄川与助の造形センスには驚かされました。

○五島のキリシタン集落
https://ja.wikipedia.org/wiki/五島崩れ
「五島キリシタン唄「五島へ五島へと皆行きたがる。五島は極楽来てみて地獄。五島は極楽行てみりゃ地獄。二度と行くまい五島のしま」五島には従来の島民たち(非キリシタン)が耕作に適した土地にすでに居住しており、農業に適さない山間の僻地や、漁をするにも不便な辺鄙な入り江、離れ小島など、貧しい土地に住むしかなかった。」

 

 

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堂崎天主堂

弾圧後の五島における宣教活動の拠点。なぜ堂崎天主堂が構成資産から外されたのか違和感を感じて調べてみたら報告論文があった。
大平晃久「堂崎天主堂の世界遺産候補除外とスケールの政治

 

 

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旧五輪教会堂

http://www.city.goto.nagasaki.jp/sekaiisan/goto_churches/kyuugorin/detail.html
「長崎地方にあって、現存する明治初期の教会としては、信徒発見の舞台となった長崎の大浦天主堂に次ぐ古いもの。険しい山を背にする小さな漁港のわずかな平地に、潮風に耐えひっそりとたたずむ教会の姿は、弾圧に耐え抜き信仰に命をかけた五島キリシタンを彷彿とさせる。」

 

 

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頭ヶ島天主堂

○頭ヶ島集落、崎浦の石積集落
https://ja.wikipedia.org/wiki/頭ヶ島
「崎浦の五島石集落における石積み技術は、長崎市外海の出津集落などから移住してきた隠れキリシタンによってもたらされた。また、一帯で行われる漁業の主体となるキビナゴ漁は熊本県天草市の﨑津集落から伝えられとされる。」「文化循環」の一例。

 

 

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野崎の集落跡

○野崎島の集落跡:昭和40年代にキリシタンの住民が集団離村した集落跡。
http://kyoukaigun.jp/visit/detail.php?id=17
「江戸時代後期、大村藩の外海から五島に渡った潜伏キリシタンが移住。1883年、野首に木造教会ができる。さらに、17戸の信者はキビナゴ漁などで資金を蓄え、1908年、鉄川与助の設計施工でリブ・ヴォールト天井を持つ堂々たるレンガ造り教会が完成した。しかし戦後は過疎化が進み、昭和40年代に集団離村し、1971年に最後の信者が島を離れる。」

 

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旧野首教会

2016-2017

賀正
年が明けた。とはいえ、昨年中に締切の仕事をいくつか持ち越してしまっていて、
まったく気持ちが時間の流れに追いついていない。
区切りをつける意味でも、備忘録としても、一年の仕事を振り返っておきたい。

2016年は依頼原稿や報告書の執筆が重なり、締切に追われるように過ぎてしまった。
ざっとあげると都市基盤史研究会の成果本の論文、コンペガイドラインの事例編、某事典の記事、
伊庭の文化的景観調査報告書、造形大の庭園学講座本、堺の講演録本、そして論文数本。
何が大変かというと、書くために勉強をしなければならないことだ。
ま、でも勉強は楽しい。知れば知るほど楽しいものだし、新たな研究テーマの発掘につながる。

一方で、査読編集委員の仕事が重なり、十数本の査読をとりまとめることになった。
査読判定を自分が書くのもさることながら、大量の査読判定理由書を見ていると、
論文の落ち方が分かる。非常にいい勉強になった。

土木計画学50周年事業(4回分のシンポジウムの企画と資料作成)での企画幹事の仕事も有意義だった。
http://www.jsce-ip.com/events/50years/finished.html
学会の歴史を知り、幹事メンバーと議論を深める中で、社会の中の学のあり方を深めて考えられた。
先人がどういうことを考えて、学を確立していったのか、という経緯をなぞったこと、
そして今を生きる研究者たちが何を考えているか、を知ることで、
自分たちがこれからの学のあり方をどう確立していくべきか、を学べたのは大きな成果だ。
そして、それは若手研究者の会の立ち上げとそこでの議論へとつながっている。
50周年事業の仕事がなければ、この動きは思いつくことはなかったと思う。

また、春には中村先生を招いての勉強会で、君たちにバトンを渡しにきた、という
重い言葉とともに、きわめて鮮烈で鋭い切れ味の原論に相当の刺激を受け、エネルギーをもらい、
それ以降、講義ノート案の骨格をつくる作業をしている。
夏と秋を越えて、ノートが少しずつ充実し、景観学の新しい体系が自分の中でおぼろげに見えてきた。
これは2017年に議論をして、しっかり固めていきたい。

実践・調査系でいうと、夏休みを捧げた11日間の宇治茶の集落調査を通じて、
また、伊庭の景観の「本質的価値」を、地理学や建築史学、農学の先生方と議論する中で、
景観を価値づけるためのいろいろな観点や切り口を学ぶことができた。
これまた、かなり奥が深くて面白い。だけどいろんな知識を前提にした複雑な知の構造になっているので、
きわめて分かりにくい。しかし社会科学における知とは単純なものではないのだろう。
ちなみに、若い人には、wikipediaで調べられるブツ切りの断片的知識ではなく、
一言では語れない、教養に根ざした深く広い理解に基づく論立てをこそ、勉強してほしいと思う。
自分もそれをうまく調査研究手法として固めていきたい。

また、コンペのデザインガイドラインの仕事でも、どのような枠組みで事例分析を進めるかなど、
とりまとめ作業がいい経験になった。事例研究、その方法論の確立も重要な仕事だ。

まあ、とにかく日々勉強、勉強で、いつまでたっても勉強すべきことは減らないというか、
むしろ増えていく。いかに自分が無知であるかということを思い知らされてばかり。
しかし、最先端の議論はいつも知的に刺激的だ。
自分はやはり考えることが何より好きなんだということにあらためて気づいた1年だった。

で、2017年をどういう年にするか。
いろんな意味で、「転換」の年にしたいと考えている。
分野における景観学のあり方、をしっかりと見越して、
研究室の研究活動も舵取りをしていかなければならないし、内外の人材育成も進めたい。
そして過去10年の積み上げをもとに、今後5−10年を方向付ける年にしたい。

今年も「考える」年にはなりそうである。

夏の合宿2016

今年から、研究室4年生(+希望者)向け、夏のデザインWSをはじめました。
3日間の短期集中型演習で、修士・博士の学生にチューターをお願いし、
スタッフとゲストの研究室先輩が批評を行うといった形にしましたが、
なんと3日間で、9名の研究室卒業生がゲスト講師として参加してくれて、
学生たちに助言、叱咤激励をしてくれました。

夏の合宿 1日目
夏の合宿 2日目
夏の合宿 3日目

みなさんに支えられて、充実したものになりました。(この場を借りて)ありがとう!!

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安土城下町の再生へ向けて

今日は安土のまちづくり有志の皆様、市の皆様とともに、安土城外堀の現状を、田舟に乗って調査しました。
数多く残る古い石垣、カワト、信長もみたはずの昔ながらの風景。
そういった希有な資源を生かして、景観整備とまちづくりをどう進めるか、じっくりと意見交換しました。

外堀の知られざる魅力や景観に磨きをかけ、安土の魅力を再発見してもらう契機とすること。
自分たちで地域の資源を守り育てる風土自治の気運を高め、まちづくりの契機とすること。
こういった大きな方針で意見が一致しました。これから具体的な計画と設計の検討を行っていきます。

 

DSC01132安土の城下町は、周囲の圃場整備地からみても分かるように微高地にあります。

DSC01168集落の縁には石垣が今も残っていて、一部は水辺が広がっています。

DSC01169セミナリオ浜から田舟が出ます。

DSC01183昔ながらの空石積みが川に沿って残されています。

DSC01249田舟の上から外堀を眺めると、非日常に浸れます。

DSC01257草に埋もれていますが、立派な石垣が残っています。

DSC01259安土山や繖山が展望でき、歴史を感じます。

DSC01287安土川にも立派な石垣やカワトが残されていて、昔ながらの風情を感じます。

つれづれと

 

京都造形大の庭園学講座で「文人の住まいと隠遁の風景」を講じるにあたって原稿を書いた。京郊の山のほとりに住んだ近世初期(寛永前後)の文人たちが、いかに風物、風景を見出したか、というのが主題だ。博論の6章をもとにしているが、これを学会で講演発表したとき、東工大の齋藤先生から、なぜ若いあなたがこんなテーマに興味をもったのか、ときかれたことを思い出した。
ふりかえれば、僕が中高校生の頃、五木寛之さんの「生きるヒント」がベストセラーになり、僕も高一のときに読んで、それから仏教思想に関心をもっていろいろ本を読んだことや、10代後半には、当時よく読んでいたヘルマン・ヘッセの「詩人になれないのなら、何にもなりたくない」の言動に共感し、理想主義的考えをもち、何らかのかたちで物書きとして生きたいと思っていたことが背景にある。
いかに生きるか、というテーマは十五歳以来、自身の最も重要なテーマであり、もんもんと悩み考えつづけていたのだが、大学三年前期のトルコ・ワークキャンプで運命が変わり、自分個人の心を満たす=自己満足的生き方では結局は満たされないと気づき、自分の人生の満足のためにも、人に感謝される社会に役立つ仕事をして生きると決めたのであった。このとき内向き思考から180度裏返しになって外向き思考になり、以後、きわめて楽観的性格を得て、今に至っている。

そうしたこともあって、先人の隠者らの生き様に憧れがあって、より知りたかったというのが研究の根本にある。しかし実際、日本の風景史においてもきわめて重要な位置付けにあるのである。17世紀当初に流行した文芸は、600〜1000年以上離れた中国や平安時代の日本の文化・文芸リバイバル運動でもある。漢文の素養が失われてしまったとはいえ、現代もそうなり得る可能性は少なからずあると思う。

多くの先人が書き残しているように、(究極的には)人生はひまつぶしだ、という考えは今も変わらないが、せっかくなので面白いことをしたいとは思っている。社会の中で自己満足に終わらず、面白いことをしようと思ったら、それなりに努力しなければならない。なので、晋代、唐代の詩人のごとく、山中に住んで、社会との関わりを断って隠遁する、というわけにはいかない。まあしかし、文芸世界の理想や高みを目指し、友と交わり、旨いものを食べて酒を飲むことを佳しとする根本の構造は同じである。文芸世界では優れた詩文を書ける=よき友、であるのが、社会に対して貢献できる力を持つ=よき仲間、であるぐらいの違いしかない。最近では、よき仲間と出会い、ともに仕事をし、ともに旨い酒を飲むために、仕事をしているような気もしている。

色彩

色彩検討本日は某橋梁+某高架橋の景観検討会議でした。
あいにくのお天気ではありましたが、なんとか雨はあがってくれました。

事前に綿密に検討を重ね、絞りこんでおいた色見本をつかって、
現場でいろいろな組み合わせを試します。まずは想像していたイメージ通りで安心。
議論しながらひとつに絞り込んでいきました。

重視したのは、見た目の調和ではなく、その地域の地質、植生、集落、人工物などの、
自然環境と歴史環境のなかで、どのような土木構造物として存在することが自然であり、
ふさわしいかということです。
土着性ともいえるかもしれません。

色は本当に奥が深くて難しいですが、納得いく色に決まりました。完成が楽しみです。